物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

物事が分かるということ(登山)

 よく、エキスパートほど「全然分からない」という言い方をすると聞くし、実際、自分が頑張っていることについて考えると確かにそうだと思う。

 物事の分かり方を登山に例えると、①登山口から頂上までのルートが分かるという分かり方(このまま進んで良いか否か、どちらに進めばいいか、など)と、②頂上から見下ろしてどんなルートがあるか分かるという分かり方(どのルートが最短か、今○○の地点にいる人はどう登ってくれば良いか、など)の2段階あると思う。そして、自分の足で頂上に辿り着く頃には、その経験から、いかに1本のルートに多様な要素があるかを体感しているわけで、1本のルートを分かり尽くすことですら難しいと分かるし、ましてや他のルート全て、つまり山全体を分かり尽くすことは到底不可能だと痛感するだろう。

 さらに、頂上に着く頃には、別の山がそのまま連なっているとか、遠くの方にもっと高い山があるとか、色んなことが分かってくるので、あぁ自分が分かったつもりでいたことは世界のほんの僅かな部分でしかないのだと分かることができる。

 そういうことは、淡々と歩み続けていれば、誰からも教わらなくても自ずと分かることではないか。逆に、どの山に登るべきかと悩んでいるばかりで登山口に留まり続けている限りは永遠に分からない。他人の話をいくら丁寧に聞いても、VRをいくら駆使しても、やっぱり分からないんじゃないかと思う。少なくとも今の技術では。

 どんな人にも相性の良いガイドはいるはずで、それぞれが自分に合ったガイドに出会える世の中になればいいなぁ。「おりゃーとにかく走って登るぞー!登ってから次考えよう!」が合う人もいれば、「死ぬまで頂上には着けないかもしれないけどこの道すごく楽しいよね」が合う人もいるから。

 この例えも、登山をしたことがない人には伝わらないかもしれない。

ハリーポッターの組み分け帽子

 ハリーポッターに出てくる組み分け帽子は自分の中でとても大きな存在で、組み分け帽子を軸として延々とものを考えていられるくらいだ。理由は色々あるけど、自分が教育者として働いてきて、これからもそうあり続けるだろうというある種の宿命、使命感のようなものを抱えているからだと思う。教育ベースで組み分け帽子を考え始めると思考が尽きない。毎日のルーティンのように「教育ってなんだろう」と考える時に、組み分け帽子はとても良い導き手となってくれる。

※組み分け帽子とは…ハリーポッターの世界で、11歳となりホグワーツ魔法学校に入学した新入生たちが、最初の儀式として全校生徒の前で順番に組み分け帽子を被り、4つの寮の中から自分が入るべき寮を決めてもらう。もともと、寮の創始者である4人の魔法使いたちが、自分たちが死んだ後にも寮決め(組み分け)が正しく行えるように、自分たちの意識を帽子に吹き込んで創造したもの。偉大な魔法の力が入っているとはいえ、万能の神とも違うし、機械的アルゴリズムを持ったコンピュータとも違うので、組み分けの決定の仕方が絶妙に人間的で、ブラックボックスっぽいところがポイント。設定としては「素質によって決定する」のではなく「当人が何を重んじているかによって決定する」らしいのだが、本質的に考えてそこは明確に分けられる視点ではないし、要は誰も決定の理由は分からないわけだ(後からどうとでも言えるだけ)。帽子をちゃんと被る前に一瞬でどこの寮か決まる子もいれば、5分近く悩んでやっと決まる子もいたりして面白い。

 4つの寮(グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン)にはそれぞれ特徴がある。

グリフィンドール 勇気、気力、大胆さ、騎士道精神

ハッフルパフ 勤勉、献身、忍耐、忠義、公平性

レイブンクロー 知性、知識、智慧

スリザリン 野心、狡猾さ、機知

ただ、一応上記のような特徴があるとはいえ、物語の中でそれぞれの寮に入ったたくさんの登場人物たちを何年にもわたって見ていると、そんな単純なわけはなく、あくまで傾向というだけ。人間はとても複雑だ。だから自分自身や身の回りの人たちがもしホグワーツに入ったらどこの寮に入るのか想像するだけで、必然的に人間性の奥底を見つめることになるし、結局自分のことも他人のことも分からないのだという当たり前のことを確認し直すことができる。

 10代、20代の頃は、人間を見る目も今ほど育っていなかったし、出会った人の数もたかが知れていたから、そこまで深く組み分け帽子に入れ込むことはなかったけど、年を重ねるにつれて出会う人の数も増え、バリエーションも豊かになり、ここまで複雑怪奇な、それでいて興味深く愛すべき人間という存在を、あえて「4つの寮に分ける」という思考実験のような遊びがどんどん面白くなってきている。自分の審美眼が試される気がするし、教育者として持っておくべき視点やセンス、思考回路を鍛えて育てられる気がするのだ。

 例えばネビル・ロングボトムという登場人物は、ハリーと同じグリフィンドールの同級生だが、勉強はできないし見た目も冴えなくて不器用で、組み分け帽子は「ハッフルパフっぽいけど勤勉でもないしどうしよう…」みたいなネガティブな悩み方をして半ば妥協したようにグリフィンドールに入れる。いわゆる劣等生だけど、いざという時ちゃんと仲間のために勇気を出して目の前の障害を打ち破っていくし、それを同級生も先生たちも心から評価して、彼の自己肯定感も上がっていく。7巻の最後までそれはそれは素晴らしい活躍をする。ネビルがいなかったらハリーたちはどこかで死んでいた。あぁ組み分け帽子の選択は間違っていなかったのだなぁと心から感じて幸せな気持ちになる。グリフィンドールに入れてもらったからこそネビルは勇気を呼び覚ますことができたとも言える。

 またホグワーツの副校長のマクゴナガル先生は、学生時代に組み分け帽子を5分以上悩ませた伝説を持つ女性で(帽子を5分以上悩ませるのは50年に一度と言われている)、グリフィンドールかレイブンクローでさんざん悩まれた結果グリフィンドールに入った。ハーマイオニーも同じ悩まれ方をしている。この「知性をとるか勇気をとるか」という究極の二択も深みがあってすごくいい。ハーマイオニーはレイブンクローに入っていたらただの秀才で卒業してそれで終わりだったかもしれないし、マクゴナガル先生も寮監や副校長なんていう立場で活躍していなかったかもしれない。

 スリザリンだって、悪役ばかり輩出していて良いイメージが全然ないけど、あくまで能力や人間性の使い方の問題であって、スリザリンらしい人間が”善い”方向に力を発揮すれば、それはそれで爆発的に活躍できるし世界への素晴らしい貢献になるはずだ。

 

 現実世界に組み分け帽子はない。学校に新入生が入る時、会社に新入社員が入る時、クラス分けや人事異動の時、組み分け帽子のように自信を持って最適な選択ができる人間はどれだけいるだろうか?テストの点数や成績表、履歴書の情報だけに踊らされず、その人の人間性そのものを正しく見て、その人の良さが一番発揮される環境に置ける人間はどれだけいるだろうか?人間には不可能なんだったらAIに任せればいい?それは本当だろうか?

 「人を決める」「人を選ぶ」という行為は、実は果てしなく責任重大で難しい。裁判官がやっていることもこれに近い。おそらく正解はないし、後から「正解だった/不正解だった」と本人が納得できる解釈をして物語を作ることができれば「結果オーライ」ということにはできるんだろうけど、一人一人が「より輝ける」「より良い選択」はあるはずで、それを真剣に追い求めることは大切なことだと思うのだ。AIはある程度のところまではできるだろうけど、AIをプログラムするのは人間だしAIの結果を信じて採択するかどうか決めるのは人間だし、その結果をもとに一緒にやっていくのは人間同士なので、結局は人間がどこまでできるかという問題だ。

 組み分け帽子が持っている「人を見る力」は数値化できないし証明することもできない、いわば「神の力」のようなものかもしれないけど、育てて無駄になることはないし、子どもや生徒や部下を育てる立場に立った人間は、自分のこの力を見つめ直して謙虚になる必要があると思う。組み分け帽子がこの世にあったら、もう少し世界は平和になるのかなぁと、今日もそんな妄想をする。

子ども科学電話相談

 子ども科学電話相談がずっと前から好きだけど、ツイッターなどで大人たちがそれを楽しむ態度が好きじゃない。

 子どもが持つ素朴で本質的な疑問は、別に子どもだけが持てる特権的なものではなくて、大人も持っていい、というか持つべき疑問なのに、自分がそういう記憶や感覚を完全に失ってしまったことを当然のごとく受け入れて、子どもに委ねきっているところが好きじゃない。ああ、子どもの純粋な視点や感覚は素晴らしいなぁ!と感銘を受けたら、自分もそういうところを取り戻せないかと思いを巡らせてみたらいいのに。そして大人はそういう疑問を抱いたら自分で調べたり勉強したりできる思考力や読解力を持っているはずなのだから、自分でもやってみればいいのに。専門家の先生たちの回答はそのための大きなヒントを提供してくれている。「子どもってすごい〜!」「○○先生の回答すごい〜!」で思考停止して成長が止まっている大人の姿を見ると残念な気持ちになる。

 分からないことがあったら自分で考えてみて、それでも分からなかったら調べてみる、誰かに聞いてみる、というごくシンプルな態度は生涯持ち続けたいものです。そもそも生きていて疑問を持たなくなったら危険信号だと思った方がいい。

次元に架かる梯子

 住所、氏名、年齢、職業で規定されているような社会的自己を保持して日中過ごすことが困難になってしまう原因を探っていくと、のぼった梯子の降り方が下手だからだと分かってきた。多分、その梯子というのが次元1つ分ではなく2つ分なのだ。1つ分の梯子を降りることはさほど難しくないけれど、2つ飛んでしまうと急に困難になる。

 10代の頃は、うまく降りきっていなくても、夢見心地のまま学校に行って何となくやり過ごすことができたけど、社会人になってより複雑な経済システムや人間関係の中に放り込まれると、回路が繋がっていないのに無理やり電流を流し続けられているような状況に陥り、それをさも何事もないかのように振る舞いながら回路を繋げようともがいているうちに、身体ごとダメになってしまうのだ。それで何度も働けなくなった。

 1人でじっと思索に耽っていると、言語も感覚もどんどん呼び起こされて研ぎ澄まされていく。たまに、国宝の刀を極限まで集中して研いでいたら自分が刀になってしまった、というようなところまでいってしまう。「このままでは戻れなくなるぞ」と脳内でちゃんと声はするんだけど、その声に気づいた時には手遅れで、もう自分が自分ではなくなっている。人間でもなくなっていて、ただの概念の集合体になっている。自分がちゃんと存在しているかどうか分からなくなる。

 ここまでくると、もう梯子を2つ分降りることは不可能なのだと思う。人生であまりにも長い時間、梯子の上で1人で過ごしていたから、降り方が分からなくなってしまった。子どもの頃からずっとここに来ていた。とても美しい景色が見えるのだ。2つ分降りた世界はあまりにも凄惨で残酷で、いくら目をつぶっても耳を塞いでも、皮膚から蝕まれて持たない。

 梯子を2つ分降りなくても生きられる環境を作らなければならない。1つ分で済むような環境を。この匙加減は自分にしか分からないから、緻密な調整が必要だ。幸せなことに、30年以上生きていたら遠くの方で別の梯子にのぼってきている人と成層圏の外で出会うようなことが増えてきて、1人なんだけど仲間はいるのだと感じられるようになったから、うっかり自分から死んでしまうことは多分ないと思う。じっと待っていれば朝が来るし春も来ることを知っている。

強い個体、弱い個体

 1人の人間を、個体として「強い」「生命力がある」という時の言葉の意味を考えている。その本質は、どんな状況に置かれても能動的に動けること、そして「今の環境に適応する」「適応できる環境に移動する」「適応できるように環境を変える」の中から自分に合った選択ができることだと思う。

 「環境に適応する」ことが簡単にできる人がいる。強いこだわりがなく、体力があり病気に強く、周りからの影響を受けづらく、どんな場所でも不安や不満に陥ることなく生きれる人。ことさら移動する必要もなく、ずっと一箇所で一生を終える、みたいな。こういう人は、よほど大きな変化が起こらない限りは「強い」。けど変化に対処する訓練をしないまま生きているから、激変して何かが閾値を超えた時は一撃で死ぬ可能性がある。本当の意味で強いと言えるかどうか、判断はできない。

 ある環境に適応できなくても、自分の力で適応できる環境に移動したり、自分自身のパワーで環境の方を変えたりできると、さらに個体としては強いと言える。ただ、やみくもにさまよっても身体が疲れてしまうし、環境を変えるのもやり方を間違えたりやりすぎたりするといずれしっぺ返しが来るから、「適切に」選択して動く、ということが重要。ここで感覚や知識や経験が必要になるわけだ。

 さらに、ある程度の「我慢強さ」も必要。何でもかんでも我慢!忍耐!ということではないけど、かといって少しも我慢することなく、ゆるい、ぬるい、楽な環境へと移動し続けていると、いつまで経っても一個体としての体力や精神力は鍛えられず、快適に過ごせる環境がどんどん狭まっていくことになる。あまりにも適応できる環境が見つかりづらい場合は、自分自身を変えて忍耐強さを身に着けていくことも求められるだろう。なぜ自分はここの環境が合わないのか?自分に変わるべきところはないか?自分で変われるところはないか?そうやって自問自答したり、周りの人に相談したりすることで、「個体」として強くなれる。

 まず土台となる身体。そして環境。それらが一体となって動いている世界で、いかに強く生きられるか。どこまで強く生きられるか。他人をどこまで強くできるか。そんなことを日々ずっと考えている。

想像力の基盤は身体感覚

 想像力の基盤は身体感覚だと思う。

 「想像する」とは、触覚や喜怒哀楽など自分の身体感覚をもとにして、アナロジー思考によって他者の身体感覚を再構築することではないかと最近考えるようになった。「像」という言葉が入っているからには、イメージが出来上がらないといけない。

 自分の身体感覚が存在しないままいくら他者の身体感覚を想像しようとしても、それはあくまで論理的な「予測」「予想」に過ぎなくて、「像」の実感を伴った「想像」には至らないと思う。身体感覚が存在しないままでも論理的思考力を駆使して予測、予想をある程度正しくおこなうことはできるが、そこには実感が伴わないので、その先の「理解」「共感」といった相手と溶けあったり分かりあったりする感覚に到達できない気がする。

※「想像」をもとにこちらが何か表現をして、それが相手に伝わった時に初めて「理解」「共感」は生まれるのではないか。私が1人でできることは「想像」までだ。

 例えば「相手の痛みを想像する」という時、実際に自分が怪我をしたり、何かで傷ついたりする経験をして、身体感覚として蓄積された「痛み」のバリエーションが豊かであればあるほど、相手がどう痛がっているのか緻密にリアルに「想像」することができる。自分が傷ついた経験が乏しいと、「相手は痛がっているようだ」というところまで予想できても、身体感覚が伴わないので「想像」には至っていないと思う。

 また、自分自身が未知の領域に入っていく時に、未来の自分、未来の状況を「想像する」という時も同じことが言える。これまで自分が蓄積してきた身体感覚をベースに、アナロジックな回路でこれからの自分の身体を再構築する。こういう状況になったらきっと自分はこう感じるのではないか、自分の身体はこんな反応をするのではないか、というイメージを準備する。

 もちろん、想像は想像に過ぎず、現実は想像通りにいかないことの方が多い。それは当然のこととして受け止め、現実への対処を考えれば良い。では想像することは無駄なのか。何だか無駄な気もしてくる。ただ、想像って意志の力で制御できるものではなくて、してしまうものじゃないかと思う。長く生きれば生きるほど、様々な経験をすればするほど、身体感覚の厚みは増して、想像もより豊かに繊細に広がる。より現実と一致しなくなる。でも、想像することで未来を迎える「覚悟」は決まりやすくなると思うのだ。

 想像しよう。

2010年以降の総括

2010年、大学3年生でダブリンに留学している時に、ひどい躁状態になった。自分は全知全能の神で、世界を救うことができると本気で思いこみ、身の回りで起こるあらゆる現象に勝手に意味づけをし、天からのメッセージを受信したと本気で思いこみ、気づいたら寝ることも大学の授業に出ることもしなくなり、1日中ツイッターで発信し続けていた。(多分1日に300~400ツイートくらい?)

心配した友人が日本の家族に連絡してくれて、両親が駆けつけて、半強制的に帰国となった。私は多分しんどかったから抵抗もしなかった。あぁ帰ったら楽になれるかな、みたいな思いがあったと思う。すぐに処方された薬を飲んだら劇的に効いて、何日か眠り続けたのを覚えている。そこから約1年間は、家に監禁状態で服薬を続けて療養生活を送った(運動不足解消のために家族と一緒に散歩したり買い物したりはした)。1日12時間近く寝てしまう日が続いたこともあった。退屈だし、副作用で太るし、かなり抑圧された日々だった。

※こんな時に311の震災が起こったので、あの歴史に残る大災害を私はぼんやりとした夢うつつ状態で体験したことになり、今でも「我が身に起こったこと」と思えないし、一生できないと思う。

周りの友達が就活をして卒業していく中、私はスマホもインターネットも禁じられて大学を卒業できるかも分からない状態で過ごし、あ~もう”普通の”人生は無理だな~としっかりあきらめることができた。

そこから少しずつ授業に出られるようになり(母が往復2時間半、車で送り迎えしてくれた。本当にありがたい)、インターネットもできるようになり、アルバイトもできるようになり、社会復帰していった。

就活もちょっとやってみたけど無理だったので、大学卒業してすぐ通信の大学に入りなおして教員免許を取ろうと決め、2013年~2015年あたりはアルバイトをしながら勉強して楽しく過ごした。夫とはこの時のアルバイトで出会ったし、今も仲良くしてる友達もいるし、苦しい大学生活よりもずっと良い思い出になった。

 

2015年から、実家で経営している保育施設に就職して、だましだまし楽しく過ごし、2017年(?)頃についに服薬をいったん終了。薬に頼らなくても体調維持できるようになった。「元気バリバリで動くとまた体調を崩すから、無理しないように生きよう」と言い聞かせ、周りにも言われ続け、今思えばずっとずっとそのせいで自分を抑圧して生きていた。ストレスを減らそうとやりたいことを我慢しすぎて、逆にストレスになっていたかも。

 

と、まぁここまでは良かったんだけど、2020年、コロナ禍と、祖父(家業の創立者)の死が重なったことで、一気に体調が崩れてしまった。世の中がおかしくなると同時に心の支えだった祖父がいなくなってしまったことで、本当に全部だめになってしまい、長い長い抑鬱状態に突入。この時に初めて、自分が双極性障害なのではと気づいた。留学の時のアレは躁状態だったのではと気づいたのも実はこの時で、それまでは何なのか分かっていなかった。一過性の病で、薬も飲まなくなった今は治ったものだと思っていた。

すぐに、叔母(精神科医)と主治医に相談したところ、「双極性障害の診断をして治療もしていたけど、あなたには伝えていなかった」と言われた。伝えることで良いことも悪いこともあるから、迷った結果伝えなかったのだと。それはそれでOK。ここで自分で気づけたことがかなり重要な気がしている。

 

それから3ヶ月くらい経って、今に至る。双極性障害だけど、もう何年もずっと薬なしでやってこれたから、これからも薬なしで生きていけるんじゃないかと希望と期待を持って、今も薬は飲んでない。「次にダメになったら薬を飲もう」と決めて様子を見ている。

双極性障害だと気づいたことで、自分の取扱説明書をゲットできた感覚になり、開き直って思い切って色んなことができるようになった。だましだまし仕事を続けていたのを2か月間休職したり、整体に通いはじめたり、半信半疑だった星読みをやってもらったり(カウンセリング要素が大きくてすごい良かった)。躁っぽくなったり鬱っぽくなったりしても「あ~今そういう時なんだな」「じゃあこれはやめてこうしよう」とメタ認知してセルフコントロールできるようになったのは非常に大きい。

頑張っても無理なことも分かった。逆に自分が持っている才能も自覚できた。これからは、できるだけ周りに迷惑かけないように気をつけて、迷惑かけない範囲なら自由に何をやっても良い、という方向で人生設計していこうと思っている。33歳にしてやっと自分がどういう人間かが掴めた気がする。幼い頃からの人生が一直線で繋がった。

私は多分もともとIQが高い上に感覚も鋭くて(絶対感覚と相対感覚を組み合わせた「変化」に敏感な気がしている)、そこに恵まれた生育環境が加わって、気づいたらかなりポテンシャル高めの人間になっていた。自分でも怖いくらいで、全部覚醒させたら収拾つかなくなると思って未だに見ないようにしている部分もある。医者や教育者ばかりの家だったし中高でキリスト教教育を受けてたから、倫理観もしっかり出来上がった。この我が身の使いどころが分からず困っていたんだけど、教育の道で何とか能力を発揮しながら頑張れそうだという一筋の光が見え始めているので、人生2周目スタートという気持ちで踏み出したところ。

これからどうなるか全然わからないけど、今までの「わからない」と今の「わからない」は全く質が違って、今までは自信のない不安でいっぱいの「わからない」、今は根拠のない自信に満ち溢れた「わからない」。どう転んでも大丈夫だと思う。

人間関係も緩やかに動いていて、色んな人が近づいたり遠ざかったりしているけど、もともと人間関係なんて一期一会のようなもので、毎日新しくて当たり前。今、目の前にいる人を大切にすることを忘れなければ良い。

これから日が少しずつ短くなって寒くなって身体的には厳しい季節がくる。でもこの秋と冬を乗り越えられたらいよいよ本当に全部大丈夫になれると思うので、今はただ淡々と日々を過ごしていきます。

ここまで読んでくれた方、見守ってくれた方、そしてこれからもお世話になる方、どうもありがとうございます。私は頑張ります。