物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

思考

「財布とか名刺入れとか、そのうち存在自体なくなるよな。必要なくなって。でもスマホケースみたいに以前は存在しなかった物がビックカメラでものすごい販売面積を占めたりする。仕事だって生物種だって、消えるものもあれば生まれるものもある。そういうもん。常に流れている。あー方丈記で全部言われてたわー。」


のように、思考の1断片にはスタートとゴールがある。この点と点を結ぶ道筋の本数や進み方のバリエーションは無限にある。「心の豊かさ」とか「人間としての深み」とかが本当にあるんだとしたら、そのバリエーションで計測されるんだと思う。

単純に長く生きていれば、どんなにサボって1ヶ所にとどまっていても、時間だけは積み重ねられる。同じ道筋だけ行ったり来たりしていれば、距離だけは積み重ねられる。でもバリエーションは能動的に動かないと広げられない。

本当にこの道でいいのか、他に道はないのか、この道はどこまで続くのか、とか色々考えながら進んでいくのが人生。

だなぁ。

色んな人に道を聞いたり手を引いてもらったりして。


私が今どこにいようと誰といようと、それ自体の価値は一時的なものに過ぎない。大切なのは、動き続けること。動きを実感し続けること。そこに味わいや楽しみがある。

自分で動こうが周りに動かされようが、とにかく万物は動き続けている。その動きを感じられれば、退屈なんてしないはずだし、孤独にとらわれることもないはず。

何もかも止まった世界に生きてる人ってのがたまにいて、そういう人に捕まって動きを制限されるとしんどいんだなぁ。疲れるし。なるべくそういう人とは手をつながないで、できれば離れていたい。こっちがどんなに働きかけても動かないんだもん。



財布ってそのうち必要なくなるんじゃね?から始まって、縁を切りたいある人のことを思い出して終わった。書くことは面白い。

自分の足でこれをやるのが散歩か。