物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

祖父の老い

来月90歳になる祖父が、今月でやっと車の免許を返納する。

ここ3年ほどで、ぐっと老いた。もういつ亡くなっても驚かないし、悲しみや寂しさもそこまでではないと思う。自然なことだから。

本人は若い頃から頑固で信念が強くて、車を手放してもらうのにもかなり時間と労力がかかったけど、さすがに自分でも分かってきてるんだと思う。車に乗らなくなると途端に弱る、ボケが進む、とよく聞くので、ある程度の覚悟はしている。バリバリだった祖父も、そろそろなんだ。

まぁ、仕方ないわなぁ。ほんとに。


死ってなんだとか、人や物への執着ってなんだとか、孤独ってなんだとか自分ってなんだとか、普段から色々と哲学的に考えていたら、身近な人の死もかなり寛容に受け入れられるようになった。もちろん、その時がきたら泣いてしまうとは思うんだけど、残酷なほどあっさりと喪失感を拭えてしまう気がする。


って、祖父がいつまで生きるか分かんないのに、勝手に余命短いことにしちゃってるけど。

もちろん3年、5年、10年、と長生きしてくれたら嬉しいけど、「死ぬまで元気でいたい」と気丈に振る舞っている人が、弱って情けなさそうにしてるのはあまり見たくない。祖父らしく、コロリと逝ってほしいな。「もう俺はダメだ、生きててもしゃあない、じゃあな。」って感じで。

本人が幸せならそれでいい。無責任な「いつまでも長生きしてね」は言いたくない。


車を奪われてしまった祖父のために、他にできることはなるべくしてあげたいと思う。何ができるか考えているところ。

スマホタブレットに憧れはあるようなので、扱えるようにしてあげたいな。