物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

五感

最近は「五感」がとても疑わしい。5という数字は、人間の感覚の数というよりメジャーな感覚器官の数に過ぎないのではないか。考えるヒントをもらった本は2冊。

ミシェル・セール 五感〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

ステファノ・マンクーゾ 植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム

特に疑わしいのは聴覚。音は単なる空気の振動であって、それを人間が特別な受容体で感知しているから「聴覚」と呼んで他の感覚と分けているだけ。結局のところ触覚なんじゃないか…

と思いながらWikipediaで「五感」と調べたら、なーんだやっぱり感覚っていっぱいあるんじゃん、となった。

現在はヒトの感覚は5つ以上あることがわかっている。細かく分類すれば20余りある、とする説明もある。触覚と呼ばれているものは、生理学的には体性感覚と呼ばれるものにほぼ相当すると思われるが、体性感覚は決して単純に皮膚の感覚をに伝えるものなどではなく、表在感覚(触覚、痛覚温度覚)、深部覚圧覚位置覚振動覚など)、皮質性感覚二点識別覚立体識別能力など)など多様な機能を含んでいる。それ以外にも、感覚には内臓感覚平衡感覚などが存在する。

 ごちゃごちゃ分けられてるけど、生物が生きるために感知しなければならないのは「光」「振動」「温度」「味」「重力」くらいにまとまるんじゃないかな。いや素人なんで本当にそれこそ直感でしかないけど。現象(物質)→それを感知する器官と働き→感覚(明るいとか甘いとか)、という流れがあって、どこに焦点を当てるかで「五感」はぶれていくと思う。もちろん、人間中心で考えても偏る。

 

東西南北や左右が感覚的に分からないのも納得がいく。太陽が出てるならまだしも、地図上の方角や左右なんて人間が便宜的に作っただけ。考えないと分からなくても当然なんだ。