物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

死刑制度に反対の理由

  2年くらい前まで、私は死刑賛成派だった。賛成派の意見はもっともだと思うものが多くて、自分の中に反対する理由が見つからなかった。でもある日突然(これは本当に、何月何日何時何分、と特定できるレベルで“ある日突然”)「あぁ、生きてちゃいけない人、死んでいい人はこの世に一人もいないんだ」と腑に落ちたことがあって、その瞬間から私はいかなる理由があっても死刑は容認できないと思うようになった。

   賛成派の人にこれをいくら主張したって、「あなたはそう思っていても私は思わない。凶悪犯罪者は例外だ」と言われたら説得できる自信はない。強いて論拠を挙げるとしたら、憲法基本的人権の尊重が万人に保証されているということ。人を殺す(死刑も含む)というのは、人権を奪う行為だし、さらに言えば、奪われた人権を取り戻す可能性をも奪う行為と言える。人権の有無を論じる前提となるベースごと奪う行為。ゼロにするというより、そもそもゼロですらない「無」にしてしまう。虐待や拷問だってその最中は人権を奪うけど、やめて処遇改善すれば人権は取り返せる。殺人や死刑ではもうどう頑張っても取り返せない。いわば人権の永久剥奪。いくら感覚的に許せない、生きていてほしくない人間がいたとしても、1万人中1万人全員が「殺せ」と言う人がいたとしても、人権の永久剥奪は許されないと思う。個人レベルでも国家レベルでも。要は「あなたは人間ではない」と判断するということだから。そんな究極の判断を、裁判所でしていいの?所詮人間が秩序を保つために作ったシステムに過ぎないのに、そこで人間の範疇を超える判断をしていいとは思えない。

  以上の理由で死刑に反対だし、そもそも死刑制度存続にも反対。死刑囚が1人もいなかったとしても、制度としてあることが問題。人間が判断していいのは「最低限の人権を保証した上でどんな刑罰を与えるか」までであって、最低限の人権を永久に奪っていいかどうかの判断まではできないと思う。自分たちが人間である限り。

  と、こういうことを賛成派だった過去の自分が聞いても「うーーーーん、もっともだけど、でも、許せないものは許せない。私はそれでも賛成する。」と言ったと思う。反対派に覆るまでには多分至らなかった。結局のところ、「腑に落ちた」というのがポイントだろう。腑に落ちない人に何を言っても無駄な気がする。賛成から反対にコロッと覆る人を今まで見たことがない。でもねぇ、一度反対と思った人が賛成に覆ることはもっとないと思うんだ。それが少しの希望かな。