社会①と②

自分が「社会」だと思っているその「社会」は、おそらくとても狭い。

今日は国際女性デーということで、「こういう社会じゃなくなればいいのに」とインターネットで声をあげてる女性を見かけたが、少なくとも私の周りにそんな窮屈な「社会」はないぞ、というのが真っ先に浮かんだ感想だった。

自分にとってストレスになる環境からなるべく遠ざかるように日々の生活を改めて、自分に合った人たちが周りに集まってくるように振る舞っていれば、「社会」はある程度自分で作れるんじゃないか。

でも私がこうやって考えられるようになったのはつい最近のことで、特に10代の頃は障害だらけで上手くいかなかった。20代前半も、まだ周りの目が気になってのびのびできなかった。20代後半になり、人間関係は数より質だと気づいてからは、どんどん楽になっていった。


自分だけの「社会①」と、そのさらに外の「社会②」があると思えばいいのかもしれない。自分が動けば社会①も動く。自分と関係なく社会②も動いている。

社会①は自由自在だぞほんとに。逆に社会②は自分の力じゃどうにもならない。戦争はなくならない。だからこそ、社会②に縛られて自由を奪われてるのは勿体ない。

森山直太朗が歌っている「不自由さの中の自由を!」ってそういうことかぁ。




これはあくまで「私」の視点。「私」が世界に70億人いるということ。

こういう風に考え続けていけばいいんだな。