物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

ミニマリスト

年内には引っ越しをする予定(人生設計)なので、ただでさえ持ち物が少ないけどさらに減らしたくなってしまっている。身軽になりたい欲求。なに欲っていうんだろうかこれは。反物欲?

3年前に実家を出た時に思ったのは、「実家に残しておこうとしているこの思い出の品々たちは、果たして本当に必要なのか?一緒に引っ越そうとしてない時点で、いらないのと同じなんじゃないのか?」ということだった。実家に残してきた物たちが家事で焼けてしまっても、私は多分大丈夫だ。というかそれを突き詰めていったら、家事で焼けてほしくないものって、クレジットカードとかパスポートとか教員免許状とか、再発行が面倒なものくらいで、絶対に焼けてほしくないものってないなぁ。写真とか手紙とかも、焼けちゃったら焼けちゃったで仕方ないかなと思える。超こだわり抜いている本棚だって諦められる。

私のこの物欲のなさ、物への執着のなさ、いつの間に身についたんだろうか。一気に物を捨てた(今でいう断捨離)のは、2010年にメンタルの病気した時。治りかけとかじゃなく、症状が現れてる真っ最中みたいな時に、まさに病的に持ち物を整理した。それ以来ずっと身軽なまま暮らしている。寛解してからも変わらず、日常的に物を捨てたり売ったりして減らしている(増えないようにしてる、の方が正しいかも)。何より気持ちいいので。


こうやって自分自身と向き合いつつ、いわゆるミニマリストと呼ばれる人たちのブログや書籍を眺めてると、仲間に見えても何か違うなーと感じることが多い。一番違うのは、「ブログや書籍にしちゃってる」ところかな。見てほしい、認めてほしい、真似してほしい、憧れてほしい、みたいな欲が丸出しの人たちいるじゃないですか。あれはミニマリストが本来目指してる精神からだいぶ離れてしまってると思う。「○○なんていらないですよ、まだ持ってんですか?」っていう押しつけも余計なお世話かなぁ。あと揃いも揃って無印良品ファンなのがなんか滑稽に見える。分かるけど。分かるけど。

私が仲間だなぁと感じる人たちがいるとしたら、多分SNSとかブログとかやってないし、自分たちのことミニマリストだと思ってない。「ミニマリスト」と名乗った時点で何かが崩れてしまうような。

いくらリアルの物が少なくても、インターネット上の人格や人間関係の形成に躍起になってるのってどうなんだろうなぁという疑問が拭えない。私はそれでSNSをやめて、やっと正解に辿り着いた気がしている。


今年中の引っ越しで、持ち物がまた一気に整理されるのが楽しみ。