物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

垣根の向こう側

「私とあなたは違うんです」という説明をしただけなのに、「見下された」「バカにされた」と受け取られることがある。これがもう、相手のコンプレックスか嫉妬のせいとしか思えない。「嫌味っぽい」「自慢気」とか色々言われるだろうけど、自分の言い方のせいだとは思えない。強いて言うなら、自分が相手との違いに気づいてもその違いを説明すべきではないのかもしれない。瞬間的に相手のコンプレックスを拭い去ることはできないのだから。

様々な人と関わらなければならない世の中で、コミュニケーションや人との繋がりを円滑に保つためには、「分かっている方が分かっていない方に合わせる」ことしかないのかなと思う。自分が「分かっている方」の場合は「合わせてあげてる」と恩着せがましくなったり上から目線になったりせず、合わせることで相手が気持ち良さそうならそれを喜びとすること。逆に自分が「分かっていない方」の場合は、合わせてくれる相手に感謝する。恐らく、心地よ〜〜〜く会話が進んでいる時というのは、相性抜群というよりは、相手が自分に合わせてくれていると考える方が妥当だろう。

私が漠然と考える平和というのは、どう頑張っても消えることのない垣根を、わざわざ可視化したり乗り越えようとしたりせず、「あらこれは越えられないですね」と両側からお互いが認めること。それで無理だと思ったらコミュニケーションを諦めるのも手だし、しばらく離れたところから様子を見るくらいが健康的かも。人間は、全くかけ離れていると思う生物(あと神とか)とはそれができるのに、人間同士とか、愛玩動物や農作物のように勝手に距離を縮めてしまってる生物とはそれが苦手っぽい。