物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

世界を分ける

福岡伸一 世界は分けてもわからない (講談社現代新書) の中に、「世界は“流れ”であって、それを分けようとすると一部を切り取ることになり、その分け目である“プラスα”が生まれる。世界(流れ)が止まる」というようなことが書いてあった。本来、世界は分かれていない。勝手に人間が分けているだけ。思えば確かに、人間独自の道具や感覚を使わないと「分ける」ことはできない気がする。「分けることで生まれるプラスα」のイメージは、四角を2つに切った時にそれまで存在しなかった境界が生まれる、その境界に近いかな。

人は目の前の何かを見た時に、無意識に分けてしまうんだと思う。「客観視」とか「俯瞰して見る」とか言われるのは多分それのこと。分けた途端に世界は止まり、自分だけ独立してしまう。世界からはみ出てしまう。「~しまう」と書いたけど、別に悪いことではなくて、必然かな。避けられない。ただ、分けている自覚がないと、自然である「流れ」を不自然なまま止めていることに気づけない。世界は流れ続けているのに自分だけ止まってしまっていることに気づけない。ずーっと止まったままの人は多いと思う。

生きるということは、止まることじゃない。流れに乗って動き続けること。自分も流れの一部になること。できれば何をするにも動きながらしたい(理想の遊びとはそういうもの)。社会学とか人類学とかで「つまらない」と感じるのは、それが止まった視点でしかない時。観察者も一緒になって動いているのは面白い。今読んでいる奥野克巳ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたことが面白いのはそういう理由。

世界を分けた時にも、「分ける人」になるんじゃなくて、「分け目」になれればいいのかもしれない。人間以外の動物は「分ける」ことをせずに常に動いているよなぁ。

 

(追記)

・物理的に分ける:顕微鏡観察のために全体から部分を取り出す、写真撮影をして1コマを切り取る、etc

・頭の中で分ける:生物学、図書館、博物館などでの分類