物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

オリジナル

  物語でも思想でも、そのほとんどは何百年も前に「型」ができあがっていて(物語であれば神話や民話、シェイクスピアなど)、本当に大きな型をオリジナルで作り出せる人はそうそういない。一見オリジナルでも、大抵の映像や言葉は細かい型のつぎはぎのようなもので、全体を遠くから見るとオリジナルに見えているだけ。もしくは細部がオリジナルでも、全体を見たら他と一緒に過ぎない(オリジナルではない)か。

  じゃあもう何を表現しても誰かの受け売りじゃん、無駄じゃん、と思ってしまったんだけど、そんなことはない。諦めたらそこで試合終了、というやつで、表現し続けないと絶対にオリジナルは生まれない。無は無でしかない。

  では、「真にオリジナルとは言えなくてもオリジナルに見えるもの」を生成するにはどうすればいいか。多分、ひたすらインプットとアウトプットを繰り返すことしか方法はない。特にアウトプットの前に大量のインプットをすること。10インプットしたら3くらいアウトプットしてまとめる、的な小出しもいいけど、そんなことやってたら私の場合あっという間に寿命がきてしまうので、1000インプットして1を絞り出す、みたいな凝縮系がいいと思う。濃度が高ければ高いほど、オリジナリティー度合いも高まるイメージ。

  誰かが生み出した芸術作品や文章を「◯◯っぽい」と他の人のに例えたり、「××主義的」と他の人とまとめて分類したりする。最初はそうでも、多作の人なら生み出せば生み出すほど全体の解像度が上がって徐々にオリジナルに近づけるし、寡作の人でも1つのインパクトが大きければオリジナルになる。

  究極は、自分にとって自分が常にオリジナルであると思えればそれでいいのかも。誰かや何かの真似しようとしてもできない、結局なにものにもなれない、の繰り返しで、外から見たらそれがオリジナルに近づいていくんじゃないのかな。私は28歳でやっと自分の中にオリジナリティーを見出すことができた。それで29歳になった。ここからはひたすら磨き続けるだけ。人生は楽しい。

 

  本当は、表現なんてしなくても、生き物は生きているだけで唯一無二のオリジナルなはずなんだけどね。それはまた別の話だ。