物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

決意新たに 書き方3種

アウトプットという行為(特に文章を書くこと)に価値を見出せなくなっていたここ数ヶ月間だったが、「やっぱり形にしないと意味がない」に戻ってきた。日曜日の夜、奥野克巳先生とおしゃべりした時にこれは確信に変わった。「ですよね、やっぱ書かないとダメですよね」ってハッキリと口にした自分がいた。

脳内でいくら考えを巡らせたりまとめたりしても、脳は最強のブラックボックスなので、以後どうなってしまうか分からない。明日の朝には消えてしまっていることもしょっちゅう。信用ならない。なので書いた方がいい。

じゃぁどうやって書くか?何で書くか?これはもう少し考え続けたいところ。手段としては、①パソコン(長文)、②スマホツイッターで短文)、③手書き(長さ色々)、の3通りがある。今は全部やっている。

①パソコンと③手書きは、アウトプットのスピードは全然違うけど、黙読で読み返した時の読みやすさは不思議とかなり近いように思う。自分に話しかけるように書いているからかな。スイーッと頭に入ってくる。逆に、②スマホで書いた文章は、読み返した時に不満を感じることが多い。ツイッターで140字に凝縮しようとするあまり濃度が不自然に高くなっていたり、人目が気になって素直に書けていなかったりする。やっぱりフォロワーとかいいねとか、向いてないんだな私。でもツイッターツイッターの役割があるので、上手く使い分けていきたい。

③手書きは本当に楽しい。改めて、字を書くのが大好き。しかも日記だったら何を書いても誰にも何も言われない。最近はApple pencilでiPadにばかり書いていたけど、しまいこんでいたノートを出してきて、またちょっとずつペンで書き始めた。やはり性に合っている。

 

周りにはアウトプットがとても上手な人がたくさんいて、私はなんでこんな平凡なことしか書けないんだろうって思うこともあるけど、それと同時に「他人の書いたものは本当は全部どうでもいい」とも思っている。自分の身体の中で生まれ、濾過し、抽出した言葉にしかない魂が絶対にある。他人の真似しても意味がない。

みんなそうやって書いているんだ。それが他者の心に響くかどうかってのは、また別の話だ。