物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

科博へ向かう電車の中でSFを読みながら考えた

自然の姿が、人間によって恣意的に切り取られ、美しいとか綺麗だとか怖いとか神秘的だとか壮大だとか勝手に価値を置かれ、それが毎日何千も何万も生産されてネット上でシェアされていくの、怖いと思う。

 

境目のないグラデーションがどんどん失われて、見えない部分もどんどん忘れられて、"知れば知るほど"、作用反作用的に別の何かが失われていくと思う。

 

って、分かっているけどガンガン消費して流していってしまう。やっぱり言葉が邪魔なのかもしれない。