物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

アーカイブ

デジタルでもアナログでも、濃厚なアーカイブを持ってることへの憧れは強い。20年分の日記帳とか、10年分のブログとか、何千冊の蔵書とか、長ければ長いほど、多ければ多いほど、いいなぁと思う。

けど、自分自身に過去や未来への執着がほぼ無いので(完全に無いと言ったら嘘になるけど、突き詰めてアリかナシかといえばナシ)、アーカイブを残そうという気力は湧かない。

例えば今のツイッターやLINEのアカウントがいきなり消えても、スマホのアルバムが全部消えても、最初は多分「うわっ」と思うけど、別に大丈夫。だから積極的にバックアップとったりセキュリティーかけたりして守ろうとは思わない。

 

昔はアーカイブ残すのが大好きで、子どもの頃から日記やらシール帳やらプリ帳やらブログやらホームページやら読書記録やら、数々のアーカイブを作ってきたけど、飽きるのも早いので何度も消したり捨てたりしていた。そしていつの間にか作るよりも壊す量の方が多くなって、「なくてもいい」に辿り着いてしまった。

アーカイブが濃厚になっていけばいくほど、執着心が強くなって失い難くなる。物理的な処分に苦労することもある。それが嫌になった。だったら初めから無い方がいい。身軽がいい。

 

きちんと作品という形で何かを産んで、それが自分の元を離れて勝手に流通してくれたら、自分の元には何も残らなくても、生きた痕跡のようなものは残る。それはちょっと良いかも。

自分の手元に何かが残るのは邪魔だけど、自分が死んだり消えたりしても、自分の知らないところで、自分の制御不能な時空間で、自分の作品が漂っているのは良いかもなぁ。

世界中のクリエイターやアーティストたちが日々なにかを制作し続けているのは、そんなところへの憧れや願望みたいなのもあるのかな。

(単に「アーティストでしかいられない」「作品が世に蔓延ってるのは自分の知るところではない」という人もいるけど。それが才能というやつか。)

 

とにかく、肩書きが何であれ、制作するものが何であれ、それがアーカイブとして残ろうが消えようが、価値が評価されようがされまいが、ヒトは「何かを作り続ける」生き物なんだな。洞窟の壁画、地上絵、絵巻、短歌、神話、etc......挙げればキリがない。

 

このブログも、いつ飽きるか、いつ消えるか分からないけど、とりあえず今日も書いてみた。今のところはアーカイブ残ります。