物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

次元に架かる梯子

 住所、氏名、年齢、職業で規定されているような社会的自己を保持して日中過ごすことが困難になってしまう原因を探っていくと、のぼった梯子の降り方が下手だからだと分かってきた。多分、その梯子というのが次元1つ分ではなく2つ分なのだ。1つ分の梯子を降りることはさほど難しくないけれど、2つ飛んでしまうと急に困難になる。

 10代の頃は、うまく降りきっていなくても、夢見心地のまま学校に行って何となくやり過ごすことができたけど、社会人になってより複雑な経済システムや人間関係の中に放り込まれると、回路が繋がっていないのに無理やり電流を流し続けられているような状況に陥り、それをさも何事もないかのように振る舞いながら回路を繋げようともがいているうちに、身体ごとダメになってしまうのだ。それで何度も働けなくなった。

 1人でじっと思索に耽っていると、言語も感覚もどんどん呼び起こされて研ぎ澄まされていく。たまに、国宝の刀を極限まで集中して研いでいたら自分が刀になってしまった、というようなところまでいってしまう。「このままでは戻れなくなるぞ」と脳内でちゃんと声はするんだけど、その声に気づいた時には手遅れで、もう自分が自分ではなくなっている。人間でもなくなっていて、ただの概念の集合体になっている。自分がちゃんと存在しているかどうか分からなくなる。

 ここまでくると、もう梯子を2つ分降りることは不可能なのだと思う。人生であまりにも長い時間、梯子の上で1人で過ごしていたから、降り方が分からなくなってしまった。子どもの頃からずっとここに来ていた。とても美しい景色が見えるのだ。2つ分降りた世界はあまりにも凄惨で残酷で、いくら目をつぶっても耳を塞いでも、皮膚から蝕まれて持たない。

 梯子を2つ分降りなくても生きられる環境を作らなければならない。1つ分で済むような環境を。この匙加減は自分にしか分からないから、緻密な調整が必要だ。幸せなことに、30年以上生きていたら遠くの方で別の梯子にのぼってきている人と成層圏の外で出会うようなことが増えてきて、1人なんだけど仲間はいるのだと感じられるようになったから、うっかり自分から死んでしまうことは多分ないと思う。じっと待っていれば朝が来るし春も来ることを知っている。