物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

物事が分かるということ(登山)

 よく、エキスパートほど「全然分からない」という言い方をすると聞くし、実際、自分が頑張っていることについて考えると確かにそうだと思う。

 物事の分かり方を登山に例えると、①登山口から頂上までのルートが分かるという分かり方(このまま進んで良いか否か、どちらに進めばいいか、など)と、②頂上から見下ろしてどんなルートがあるか分かるという分かり方(どのルートが最短か、今○○の地点にいる人はどう登ってくれば良いか、など)の2段階あると思う。そして、自分の足で頂上に辿り着く頃には、その経験から、いかに1本のルートに多様な要素があるかを体感しているわけで、1本のルートを分かり尽くすことですら難しいと分かるし、ましてや他のルート全て、つまり山全体を分かり尽くすことは到底不可能だと痛感するだろう。

 さらに、頂上に着く頃には、別の山がそのまま連なっているとか、遠くの方にもっと高い山があるとか、色んなことが分かってくるので、あぁ自分が分かったつもりでいたことは世界のほんの僅かな部分でしかないのだと分かることができる。

 そういうことは、淡々と歩み続けていれば、誰からも教わらなくても自ずと分かることではないか。逆に、どの山に登るべきかと悩んでいるばかりで登山口に留まり続けている限りは永遠に分からない。他人の話をいくら丁寧に聞いても、VRをいくら駆使しても、やっぱり分からないんじゃないかと思う。少なくとも今の技術では。

 どんな人にも相性の良いガイドはいるはずで、それぞれが自分に合ったガイドに出会える世の中になればいいなぁ。「おりゃーとにかく走って登るぞー!登ってから次考えよう!」が合う人もいれば、「死ぬまで頂上には着けないかもしれないけどこの道すごく楽しいよね」が合う人もいるから。

 この例えも、登山をしたことがない人には伝わらないかもしれない。