物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

ハリーポッターの組み分け帽子

 ハリーポッターに出てくる組み分け帽子は自分の中でとても大きな存在で、組み分け帽子を軸として延々とものを考えていられるくらいだ。理由は色々あるけど、自分が教育者として働いてきて、これからもそうあり続けるだろうというある種の宿命、使命感のようなものを抱えているからだと思う。教育ベースで組み分け帽子を考え始めると思考が尽きない。毎日のルーティンのように「教育ってなんだろう」と考える時に、組み分け帽子はとても良い導き手となってくれる。

※組み分け帽子とは…ハリーポッターの世界で、11歳となりホグワーツ魔法学校に入学した新入生たちが、最初の儀式として全校生徒の前で順番に組み分け帽子を被り、4つの寮の中から自分が入るべき寮を決めてもらう。もともと、寮の創始者である4人の魔法使いたちが、自分たちが死んだ後にも寮決め(組み分け)が正しく行えるように、自分たちの意識を帽子に吹き込んで創造したもの。偉大な魔法の力が入っているとはいえ、万能の神とも違うし、機械的アルゴリズムを持ったコンピュータとも違うので、組み分けの決定の仕方が絶妙に人間的で、ブラックボックスっぽいところがポイント。設定としては「素質によって決定する」のではなく「当人が何を重んじているかによって決定する」らしいのだが、本質的に考えてそこは明確に分けられる視点ではないし、要は誰も決定の理由は分からないわけだ(後からどうとでも言えるだけ)。帽子をちゃんと被る前に一瞬でどこの寮か決まる子もいれば、5分近く悩んでやっと決まる子もいたりして面白い。

 4つの寮(グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン)にはそれぞれ特徴がある。

グリフィンドール 勇気、気力、大胆さ、騎士道精神

ハッフルパフ 勤勉、献身、忍耐、忠義、公平性

レイブンクロー 知性、知識、智慧

スリザリン 野心、狡猾さ、機知

ただ、一応上記のような特徴があるとはいえ、物語の中でそれぞれの寮に入ったたくさんの登場人物たちを何年にもわたって見ていると、そんな単純なわけはなく、あくまで傾向というだけ。人間はとても複雑だ。だから自分自身や身の回りの人たちがもしホグワーツに入ったらどこの寮に入るのか想像するだけで、必然的に人間性の奥底を見つめることになるし、結局自分のことも他人のことも分からないのだという当たり前のことを確認し直すことができる。

 10代、20代の頃は、人間を見る目も今ほど育っていなかったし、出会った人の数もたかが知れていたから、そこまで深く組み分け帽子に入れ込むことはなかったけど、年を重ねるにつれて出会う人の数も増え、バリエーションも豊かになり、ここまで複雑怪奇な、それでいて興味深く愛すべき人間という存在を、あえて「4つの寮に分ける」という思考実験のような遊びがどんどん面白くなってきている。自分の審美眼が試される気がするし、教育者として持っておくべき視点やセンス、思考回路を鍛えて育てられる気がするのだ。

 例えばネビル・ロングボトムという登場人物は、ハリーと同じグリフィンドールの同級生だが、勉強はできないし見た目も冴えなくて不器用で、組み分け帽子は「ハッフルパフっぽいけど勤勉でもないしどうしよう…」みたいなネガティブな悩み方をして半ば妥協したようにグリフィンドールに入れる。いわゆる劣等生だけど、いざという時ちゃんと仲間のために勇気を出して目の前の障害を打ち破っていくし、それを同級生も先生たちも心から評価して、彼の自己肯定感も上がっていく。7巻の最後までそれはそれは素晴らしい活躍をする。ネビルがいなかったらハリーたちはどこかで死んでいた。あぁ組み分け帽子の選択は間違っていなかったのだなぁと心から感じて幸せな気持ちになる。グリフィンドールに入れてもらったからこそネビルは勇気を呼び覚ますことができたとも言える。

 またホグワーツの副校長のマクゴナガル先生は、学生時代に組み分け帽子を5分以上悩ませた伝説を持つ女性で(帽子を5分以上悩ませるのは50年に一度と言われている)、グリフィンドールかレイブンクローでさんざん悩まれた結果グリフィンドールに入った。ハーマイオニーも同じ悩まれ方をしている。この「知性をとるか勇気をとるか」という究極の二択も深みがあってすごくいい。ハーマイオニーはレイブンクローに入っていたらただの秀才で卒業してそれで終わりだったかもしれないし、マクゴナガル先生も寮監や副校長なんていう立場で活躍していなかったかもしれない。

 スリザリンだって、悪役ばかり輩出していて良いイメージが全然ないけど、あくまで能力や人間性の使い方の問題であって、スリザリンらしい人間が”善い”方向に力を発揮すれば、それはそれで爆発的に活躍できるし世界への素晴らしい貢献になるはずだ。

 

 現実世界に組み分け帽子はない。学校に新入生が入る時、会社に新入社員が入る時、クラス分けや人事異動の時、組み分け帽子のように自信を持って最適な選択ができる人間はどれだけいるだろうか?テストの点数や成績表、履歴書の情報だけに踊らされず、その人の人間性そのものを正しく見て、その人の良さが一番発揮される環境に置ける人間はどれだけいるだろうか?人間には不可能なんだったらAIに任せればいい?それは本当だろうか?

 「人を決める」「人を選ぶ」という行為は、実は果てしなく責任重大で難しい。裁判官がやっていることもこれに近い。おそらく正解はないし、後から「正解だった/不正解だった」と本人が納得できる解釈をして物語を作ることができれば「結果オーライ」ということにはできるんだろうけど、一人一人が「より輝ける」「より良い選択」はあるはずで、それを真剣に追い求めることは大切なことだと思うのだ。AIはある程度のところまではできるだろうけど、AIをプログラムするのは人間だしAIの結果を信じて採択するかどうか決めるのは人間だし、その結果をもとに一緒にやっていくのは人間同士なので、結局は人間がどこまでできるかという問題だ。

 組み分け帽子が持っている「人を見る力」は数値化できないし証明することもできない、いわば「神の力」のようなものかもしれないけど、育てて無駄になることはないし、子どもや生徒や部下を育てる立場に立った人間は、自分のこの力を見つめ直して謙虚になる必要があると思う。組み分け帽子がこの世にあったら、もう少し世界は平和になるのかなぁと、今日もそんな妄想をする。