物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

強い個体、弱い個体

 1人の人間を、個体として「強い」「生命力がある」という時の言葉の意味を考えている。その本質は、どんな状況に置かれても能動的に動けること、そして「今の環境に適応する」「適応できる環境に移動する」「適応できるように環境を変える」の中から自分に合った選択ができることだと思う。

 「環境に適応する」ことが簡単にできる人がいる。強いこだわりがなく、体力があり病気に強く、周りからの影響を受けづらく、どんな場所でも不安や不満に陥ることなく生きれる人。ことさら移動する必要もなく、ずっと一箇所で一生を終える、みたいな。こういう人は、よほど大きな変化が起こらない限りは「強い」。けど変化に対処する訓練をしないまま生きているから、激変して何かが閾値を超えた時は一撃で死ぬ可能性がある。本当の意味で強いと言えるかどうか、判断はできない。

 ある環境に適応できなくても、自分の力で適応できる環境に移動したり、自分自身のパワーで環境の方を変えたりできると、さらに個体としては強いと言える。ただ、やみくもにさまよっても身体が疲れてしまうし、環境を変えるのもやり方を間違えたりやりすぎたりするといずれしっぺ返しが来るから、「適切に」選択して動く、ということが重要。ここで感覚や知識や経験が必要になるわけだ。

 さらに、ある程度の「我慢強さ」も必要。何でもかんでも我慢!忍耐!ということではないけど、かといって少しも我慢することなく、ゆるい、ぬるい、楽な環境へと移動し続けていると、いつまで経っても一個体としての体力や精神力は鍛えられず、快適に過ごせる環境がどんどん狭まっていくことになる。あまりにも適応できる環境が見つかりづらい場合は、自分自身を変えて忍耐強さを身に着けていくことも求められるだろう。なぜ自分はここの環境が合わないのか?自分に変わるべきところはないか?自分で変われるところはないか?そうやって自問自答したり、周りの人に相談したりすることで、「個体」として強くなれる。

 まず土台となる身体。そして環境。それらが一体となって動いている世界で、いかに強く生きられるか。どこまで強く生きられるか。他人をどこまで強くできるか。そんなことを日々ずっと考えている。