物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

やるべきことを決めるのは誰か(何か)

 「やった方がいい(かもしれない)こと」と「やらなくてもいい(かもしれない)こと」に大した差はない。考えなくていい。「やるべきこと」だけに集中してやればいい。

 やるべきことは、考えなくてもわかる。考える前に体が動く。やりたいかやりたくないか迷うこともない。迷うことがあるとしたら、やりはじめてふと足を止めた時だ。足を止めた時点で、やめるべきだと体が反応したらやめればいい。続けたかったら続ければいい。それだけの話。

 やるかやらないか。動くか動かないか。それを自分で決定することが要だとずっと思い込んで生きてきたけど、動きを止めて決定を下そうとしている時点で意識は「止まってしまってる」ことに気づいた。もっと大切なのは、動きを止めないこと。流れを感じ続けること。自分をどこかに固定しないこと。

 自分というものがあるとしたら、「自分ではなく、自分でなくはない」時空の中。そこには自分だけがあるのではなく、他のものと一緒に存在している。このことが、2年くらいかけて本を読んだり人と話したり考えたりしてやっと腑に落ちて、まだぼんやりはしているものの、この1週間ほどで確実に掴めてきた。

 そういうことになると、もう「立ち止まって」「自分は何をやりたいか、やるべきか」「どの方向に動くか」などを事前に考えて決定することが無意味に思われる。自分と自分ではないものの流動性の中で、自ずとやるべきことは現れる。それをやればいいだけ。

 

 こうして何かを書き残すタイミングも、自然にやってくるから不思議だ。まぁ、不思議でも何でもないのかもしれない。自然ってそういうことだ。