物語はその日のうちに

人間が人間として自然に生きることを考えています

2010年以降の総括

2010年、大学3年生でダブリンに留学している時に、ひどい躁状態になった。自分は全知全能の神で、世界を救うことができると本気で思いこみ、身の回りで起こるあらゆる現象に勝手に意味づけをし、天からのメッセージを受信したと本気で思いこみ、気づいたら寝ることも大学の授業に出ることもしなくなり、1日中ツイッターで発信し続けていた。(多分1日に300~400ツイートくらい?)

心配した友人が日本の家族に連絡してくれて、両親が駆けつけて、半強制的に帰国となった。私は多分しんどかったから抵抗もしなかった。あぁ帰ったら楽になれるかな、みたいな思いがあったと思う。すぐに処方された薬を飲んだら劇的に効いて、何日か眠り続けたのを覚えている。そこから約1年間は、家に監禁状態で服薬を続けて療養生活を送った(運動不足解消のために家族と一緒に散歩したり買い物したりはした)。1日12時間近く寝てしまう日が続いたこともあった。退屈だし、副作用で太るし、かなり抑圧された日々だった。

※こんな時に311の震災が起こったので、あの歴史に残る大災害を私はぼんやりとした夢うつつ状態で体験したことになり、今でも「我が身に起こったこと」と思えないし、一生できないと思う。

周りの友達が就活をして卒業していく中、私はスマホもインターネットも禁じられて大学を卒業できるかも分からない状態で過ごし、あ~もう”普通の”人生は無理だな~としっかりあきらめることができた。

そこから少しずつ授業に出られるようになり(母が往復2時間半、車で送り迎えしてくれた。本当にありがたい)、インターネットもできるようになり、アルバイトもできるようになり、社会復帰していった。

就活もちょっとやってみたけど無理だったので、大学卒業してすぐ通信の大学に入りなおして教員免許を取ろうと決め、2013年~2015年あたりはアルバイトをしながら勉強して楽しく過ごした。夫とはこの時のアルバイトで出会ったし、今も仲良くしてる友達もいるし、苦しい大学生活よりもずっと良い思い出になった。

 

2015年から、実家で経営している保育施設に就職して、だましだまし楽しく過ごし、2017年(?)頃についに服薬をいったん終了。薬に頼らなくても体調維持できるようになった。「元気バリバリで動くとまた体調を崩すから、無理しないように生きよう」と言い聞かせ、周りにも言われ続け、今思えばずっとずっとそのせいで自分を抑圧して生きていた。ストレスを減らそうとやりたいことを我慢しすぎて、逆にストレスになっていたかも。

 

と、まぁここまでは良かったんだけど、2020年、コロナ禍と、祖父(家業の創立者)の死が重なったことで、一気に体調が崩れてしまった。世の中がおかしくなると同時に心の支えだった祖父がいなくなってしまったことで、本当に全部だめになってしまい、長い長い抑鬱状態に突入。この時に初めて、自分が双極性障害なのではと気づいた。留学の時のアレは躁状態だったのではと気づいたのも実はこの時で、それまでは何なのか分かっていなかった。一過性の病で、薬も飲まなくなった今は治ったものだと思っていた。

すぐに、叔母(精神科医)と主治医に相談したところ、「双極性障害の診断をして治療もしていたけど、あなたには伝えていなかった」と言われた。伝えることで良いことも悪いこともあるから、迷った結果伝えなかったのだと。それはそれでOK。ここで自分で気づけたことがかなり重要な気がしている。

 

それから3ヶ月くらい経って、今に至る。双極性障害だけど、もう何年もずっと薬なしでやってこれたから、これからも薬なしで生きていけるんじゃないかと希望と期待を持って、今も薬は飲んでない。「次にダメになったら薬を飲もう」と決めて様子を見ている。

双極性障害だと気づいたことで、自分の取扱説明書をゲットできた感覚になり、開き直って思い切って色んなことができるようになった。だましだまし仕事を続けていたのを2か月間休職したり、整体に通いはじめたり、半信半疑だった星読みをやってもらったり(カウンセリング要素が大きくてすごい良かった)。躁っぽくなったり鬱っぽくなったりしても「あ~今そういう時なんだな」「じゃあこれはやめてこうしよう」とメタ認知してセルフコントロールできるようになったのは非常に大きい。

頑張っても無理なことも分かった。逆に自分が持っている才能も自覚できた。これからは、できるだけ周りに迷惑かけないように気をつけて、迷惑かけない範囲なら自由に何をやっても良い、という方向で人生設計していこうと思っている。33歳にしてやっと自分がどういう人間かが掴めた気がする。幼い頃からの人生が一直線で繋がった。

私は多分もともとIQが高い上に感覚も鋭くて(絶対感覚と相対感覚を組み合わせた「変化」に敏感な気がしている)、そこに恵まれた生育環境が加わって、気づいたらかなりポテンシャル高めの人間になっていた。自分でも怖いくらいで、全部覚醒させたら収拾つかなくなると思って未だに見ないようにしている部分もある。医者や教育者ばかりの家だったし中高でキリスト教教育を受けてたから、倫理観もしっかり出来上がった。この我が身の使いどころが分からず困っていたんだけど、教育の道で何とか能力を発揮しながら頑張れそうだという一筋の光が見え始めているので、人生2周目スタートという気持ちで踏み出したところ。

これからどうなるか全然わからないけど、今までの「わからない」と今の「わからない」は全く質が違って、今までは自信のない不安でいっぱいの「わからない」、今は根拠のない自信に満ち溢れた「わからない」。どう転んでも大丈夫だと思う。

人間関係も緩やかに動いていて、色んな人が近づいたり遠ざかったりしているけど、もともと人間関係なんて一期一会のようなもので、毎日新しくて当たり前。今、目の前にいる人を大切にすることを忘れなければ良い。

これから日が少しずつ短くなって寒くなって身体的には厳しい季節がくる。でもこの秋と冬を乗り越えられたらいよいよ本当に全部大丈夫になれると思うので、今はただ淡々と日々を過ごしていきます。

ここまで読んでくれた方、見守ってくれた方、そしてこれからもお世話になる方、どうもありがとうございます。私は頑張ります。